Tuesday, August 8, 2023

Production history of DOG FIGHTER

2nd Prototype Apr.1983

10年ぶりの更新でちょっと勢いづいているので続けて投稿してみます。知られざるドッグファイターのプロダクトヒストリーです。電動RCカーブームが最盛期を迎えようとしていた1983年に発表されたドッグファイターには、YZ-834Bというコードネームが与えられました。これはマツダRX-7等のヒットに端を発するコードネームブームに乗っかって考えたものだそうです。ガンダムにおけるRX-78と同じことですね。YはヨコモのY、ZはフェアレディZのように究極のというイメージ、834は1983年4月の発売(実際には11月にずれ込みます)、Bはヨコモオリジナルモデルの第二弾(第一弾はRC-12ミニレーサー)という意味だそうです。(同様にYZ-870Cは87年10月発売を目指した第三弾という意味です。実際の発売は88年でしたが……)
 
The first Prototype Sep?1982

1982年秋のJEMモデルショー・トーキョーにて発表されたモデルが、最初の試作品と思われます。設計を担当したのはRC12に引き続き高橋悦三氏。かつて日本橋三越に横堀模型の直営店があった頃からの常連さんだった高橋さんが、是非ともオフロードラジコンを作らせて欲しいと横堀さんに訴えたことから開発に至ったとのことです。最初の試作車はギアボックスが前輪駆動用と後輪駆動用で2分割されているのが特徴です。モーターをセンターに積むことを優先させたのだと思いますが、チェーンの取り回しにかなり無理がありますね。これは後に一体型へと変更されますが、歯車の構成としては変わっていないのではないかと思います。アソシのRC12Eのスパーギアを流用したボールデフもこの時点で採用されています。

2nd Prototype  Apr.1983

当初は83年4月の発売を見込んでいましたが、計画は遅れに遅れ、4月の時点ではまだボディも成型されておらず、ギアボックスを一体化した改良版がモデルジャーナルで発表されました。特徴的なフラットパンシャシーと前後モノショックは、横堀さんがアメリカ市場をリサーチした際に目にした、SRB(バギーチャンプ系シャシー)ベースのカスタムカーの影響が大きいとのこと。当時はSRBのリアサスにRCHやレースプレップのモノショックキットを組み込む改造がアメリカでは流行っており、悪路を走行する上でモノショック有利という一定の評価があったのですね。このセカンドプロトのロールバーが後ろまで回り込んだロールケージ形状になっているのもカスタムSRBからの影響なのでしょう。ホイールはすでに成型品のように見えますね。

ちなみにここからは余談ですが、市販モデルのホイールやバッテリートレーは黄色いナイロンで成型されていましたが、これは横堀さんのラッキカラーが黄色だからです。横堀さんは黄色とピンクがラッキカラーだそうで、834Bは黄色で成功したから870Cのホイールはピンクにしたのだとか。御本人も長年黄色いポルシェを乗り継いでおられますし、いつも黄色やピンクのポロシャツを着ておられます、


そして細かいディテールの煮詰めが終わると、83年夏にはPOM(ジュラコン等)削り出しのファイナルプロトと言うべきモデルが完成します。これをベースに三共ラジコン製作所(※注:GPバギー等を製造していた大阪の三共製作所とは別会社で三共プロポの製造販売元)で金型の製作と樹脂成型が行われ、大阪の技研モデルでアルミパーツの切削が行われるなどして、いよいよ製品版が完成します。ちなみにタイヤにはダンロップの刻印がありましたが、こちらは実際にダンロップ製品を製造していたメーカーで生産しており、ダンロップの許諾も得ていたそうです。京商スコーピオンのグッドイヤーなどは許諾を得ていなかったため、輸出開始後にトラブルを防ぐためSAND SUPERという架空のブランドに変更されましたが、ヨコモのダンロップはそのまま販売が継続されたわけです。

そしてすべての生産準備が整った頃にはすでに11月となっており、年末商戦にギリギリ間に合ったという感じだったのでした。

3rd Prototype  Jul.1983

ところがクリスマスシーズンとなっても、お年玉シーズンとなっても一向に注文が入らず、会社は大慌てだったとか。ようやく売れ始めたのは84年の4月になってからだったそうです。横堀さんの想像では、ドッグファイターはやや上級者向けのモデルだったこともあり、当初は若年層の受けがあまり良くなく、中学校高学年〜高校生以上のユーザーから火がついたことから、受験などが一段落するまでは買い控えされていたのではとのことです。しかし一度火がつくと今度は逆に出荷が間に合わず大混乱になります。ドッグファイターは半完成品だったため、不眠不休で必死で組み上げたとか。各部品の精度も当初はあまり良くなかったため、部品同士の相性の良いものと悪いものがあり、ドッグボーンとカップの相性などをいちいち確かめて組まないといけないために時間がかかったそうです。しかし半完成品だったことが、逆に救いだったとも。もしキット販売だったらクレームが殺到したことでしょうね。


1st AD (Oct.1983)

さて発売開始後のドッグファイターですが、こちらも色々と変遷がありました。巷では緑のギアが入っていれば最初期となっているようですが、それはちょっと違います。僕が知る限り、84年中に出荷されたもの(恐らく第2ロットまで)はすべて緑のギアでした。というのも僕がはじめてドッグファイターを購入したのが85年1月で、これにも緑のギアが入っていたからです。(恐らく出荷は84年末だったと思われます。)

Early Shock(1983-1984)

一方、最初のロットにしか採用されなかった部品があります。83年末から84年夏ごろまでの間に出荷された製品です。それが、定容量型のショックです。これはケースがトップキャップタイプになっており、そこにピストンシャフトを貫通させることで定容量化を実現していました。しかしコストが嵩むことと、オイル容量が少なくなることなどから、すぐに同時期の京商サーキットバギー用ショックと同様のボトムキャップ型のエアレーションタイプに変更となります。ちなみにドッグファイターのショックと京商CBショックの製造工場は同じだったようです。それゆえにキャップやシャフトは両者で互換性があり、キャップがローレットじゃない京商のキャップの方がしっかり締めやすいため、僕は当時キャップだけ京商のものに替えていました。(ワンダードッグのショックキャップは京商と同型に変更されました)

L→R:Mk1(83-84),Mk2(Spring85-),Mk3(Fall85-),Mk4(Fall86-)

ギアの方は最初期のものは薄いグリーンの成形品です。84年中に出荷されたものはすべてこれが入っていました。スプロケットも同様です。しかしこの素材は非常に摩耗しやすく、あっという間に坊主になりました。それで85年になると乳白色のものに変更され、かなり耐摩耗性は良くなります。さらにワンダードッグコンバージョンキットが発売される頃(85年11月頃)になると、グラス混樹脂にスチールシャフトのものに改良され、非常に丈夫になります。さらにこれはほぼ最終期となりますが、86年の後半には摩擦係数の小さそうな現代的な白い樹脂のギアとなります。この最終タイプが一番製造数は少ないのではと思われます(個人的な肌感覚です)。

L:Early(~Fall85) R:(Winter85~)

リアサスアームは左が古いタイプで、右が後期になります。ギルロッシJrの世界戦優勝車がリアサスアームに補強を施していたことから、これを参考に85年夏に金型が改良されました。古い成形品も残っていたため、スペアパーツとしては旧品のみが供給されていましたが、ワンダードッグコンバージョンキット(85年11月頃に発売)とワンダードッグキット(86年1月頃に発売)に組み込まれた後にはZB-23Nとしてスペアパーツも供給されるようになり、スタンダードなドッグファイターのキットにも最終期のみですが新型が組み込まれました。


L:Early(~Summer85) R:(Fall85~)

サスアームが改良される以前に地味に改良されていたのがフロントアクスルです。素材の改良により、ワンウェイベアリングで溝ができてしまうトラブルがなくなりました。初期のアクスルはすぐに溝ができてクラッチが効かなくなるため、しょっちゅう交換していたイメージですが、新しいタイプになってからは一度も交換しなかったと思います。それくらい丈夫でした。こちらも新しい方は部品番号がZB-8Nとなっています。黒っぽい酸化被膜になっているのが初期型で、後期はシルバーグレーのような明るい色になったので、違いは見てすぐにわかると思います。

それ以外にもワンダードッグになって変わった部分も多数ありますし、これですべてというわけではありませんが、とりあえずお持ちのドッグファイターがいつ頃の製造のものなのかは、これらのディテールで見分けられるのではないかと思います。


No comments:

Post a Comment