Tuesday, August 8, 2023

ドッグファイター復刻計画の顛末

YZ-834B 3D DATA(2013)

長らく放置しておりましたが、ブラウザの翻訳機能も進化してるので日本語だけでもいいかななんて考えつつ、ちょっと書いてみようかと思います。冒頭の画像を見たことがある方もいることでしょう。以前雑誌等でも少し紹介された834Bの復刻計画に伴い作られた3Dデータがこちらです。

僕もつい最近知ったのですが、なんと870Cが復刻されるとか。それを知って、いまだにもやもやされている方が多い834Bのことについて、ちゃんと説明しておかなければな、と思ったのです。今年は834Bの発売40周年ですし、丁度良い機会かと。

ことのはじまりは約10年前、確か2012年の秋ごろだったと思います。ヨコモのS氏と電話で雑談してる時に、ふと「来年はドッグファイターも30周年ですよね。記念の復刻版を数量超限定でも作ったらいいのに。」と言ったんです。で、この話はすぐに社長(当時)の横堀さんまで行きまして、面白いかもね、ということになったのです。

しかし会社としてはこの開発にコストはかけられない、ということで、まずなんとしても3D CADデータが必要ということになり、これはかつて「チームのうてんき(知ってる人は知っているはず)」周辺にいて、現在は3D CADのプロであるK氏に相談したところ、データ作成を快諾していただき、あっという間にデータが完成しました。

本当ならオリジナルの金型が残っていれば良かったのですが、834Bの金型製作と射出成型は当時東京でプロポなどの製造をしていた三共ラジコン製作所という会社(GPバギー等を製造していた大阪の三共製作所とは別会社)で行われており、会社はもちろん廃業。社長さんも他界されており、金型の残存は絶望的でした。ただ唯一、初代ボディの型だけはヨコモ社内に残っており、これが救いでした。またダンロップ刻印のタイヤは実際にダンロップ製品を成型していた会社で作られていたから実現したものだったのですが、会社は残存しておりタイヤの製造も可能だが、金型は残っていないということでした。

834Bの一部のパーツは1988年以降、アメリカのカスタムワークス社に同社のオーバルレーサー「ドミネーター」のパーツとして出荷され、同社にまだ在庫もあるため、これを逆輸入して利用する案も出ました。スプロケットは当時と同じく協育歯車に注文、ラダーチェーンはニッサ(現在は製造元の工場が廃業)に注文、駆動系についてはK氏が現行モデルのパーツを流用できるように設計してくださったため、足回りやバルクヘッドなど、最低限のパーツを作れば再現可能というところまで話は進みました。

CUSTOM WORKS DOMINATOR

ところが、です。横堀さんがどうにも乗り気じゃないのです。理由は色々あるのですが、一番の理由は834Bを設計されたのが高橋悦三さん(昔よく雑誌にも登場されてました)で、横堀さんとしては自分で設計した870Cの方が思い入れが強いことにあるようでした。故に870Cが最初に復刻というスト―リーも頷けますし、僕としては「あーなるほど」といった感じではあります。

それでも834B復刻計画は、雑誌で発表して既成事実化してしまおうというヨコモS氏の案により、RCMの山鼻さん(当時チームヨコモとして834Bを走らせていた方です)に協力していただき、ちょっとフライングでの発表となったのですが、結局発売には至らず計画は霧散してしまいました。

計画が消えた理由は前述の横堀さんの意向以外にも、コストの問題が大きかったです。ヨコモ的には新規で金型を起こす気はまったくなく、アルミの切削で再現する方向で進んでいたのですが、見積もりを取ったところ製造コストが想定した上代を上回ることがわかり、事実上不可能となったのです。それでもタミヤや京商と同じように金型を作り、当時と同じ製品を作れば、十分勝算はあったと個人的には思うのですが、当時はまだ京商のスコーピオンも発売前で、京商内でも復刻反対派が優勢だったくらいなので、ましてやドッグファイターなんて復刻しても売れないだろう、という見方がヨコモ社内では大勢を占めてたことでしょう。

1980年代と現在のラジコン業界を比較して大きく違うことがひとつあります。それは、ラジコンビジネスに携わる人のマニア化です。1980年代はまだラジコンレースも黎明期でしたので、ラジコンの開発や販売に携わる人も他業種から来た人などが中心で、どんなものを作れば売れるのかもわからず手探りで開発を行っていました。つまり、ユーザーが若年化していく中で、こんな商品を出したら売れるかも?あるいは他社のこんな製品が売れるからウチでも出そう、といったように、いわゆるマーケットインの開発が行われていたわけです。ところがそうして育てられたユーザー=マニアが業界に就職するにつれて、自分たちの作りたいもの、自分たちの欲しいもの、レースで勝てるもの、というのが開発の基準になってしまったように思います。つまりプロダクトアウトの開発です。

アイドルビジネスのように固定ファン層がいる分野であれば、プロダクトアウトの製品開発は成り立つのですが、現在のラジコンのようにシュリンクしていく市場ではマーケットインでやらなければ新規顧客の獲得は難しいのではないかと思います。1970-90年代のラジコン市場は熱狂的なマニアが非常に多くいて、その時期にはプロダクトアウトが通用してしまっていたので、市場が変化してもそれを引きずったままになっている、のではないでしょうか?そうしたプロダクトアウトでの製品開発しかしてこなかった人々にとって、834Bはすでに化石でしかなく、再び商品化することなどあり得ないという感じだったようです。たとえそれが市場の要望と相反していたとしても、です。しかしながらヨコモは数年前に横堀さんが勇退され、別分野から現れた経営に強い(と思われる)会社の傘下となりました。恐らく870Cの復刻決定はそれも理由としては大きいと思われ、834Bの復刻も実現する日が来るかもしれません。

正直なところ、僕個人としては834Bを復刻して欲しいとはあまり思っていません。自分のための部品はすでに一生分確保してますし、形になっている車体も20台以上ありますので、さすがにこれ以上欲しいとは思えないのです。しかしオークション等を見ると最近は復刻されていないモデルの値上がりが甚だしいですし、購入しても破損が怖くて走らせられないという声もよく聞きます。復刻版が出ればそうした方々が救われるのだろうなと思いますし、そのお手伝いができるなら、喜んでやらせていただきたいと思います。

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