Tuesday, August 8, 2023

Production history of DOG FIGHTER

2nd Prototype Apr.1983

10年ぶりの更新でちょっと勢いづいているので続けて投稿してみます。知られざるドッグファイターのプロダクトヒストリーです。電動RCカーブームが最盛期を迎えようとしていた1983年に発表されたドッグファイターには、YZ-834Bというコードネームが与えられました。これはマツダRX-7等のヒットに端を発するコードネームブームに乗っかって考えたものだそうです。ガンダムにおけるRX-78と同じことですね。YはヨコモのY、ZはフェアレディZのように究極のというイメージ、834は1983年4月の発売(実際には11月にずれ込みます)、Bはヨコモオリジナルモデルの第二弾(第一弾はRC-12ミニレーサー)という意味だそうです。(同様にYZ-870Cは87年10月発売を目指した第三弾という意味です。実際の発売は88年でしたが……)
 
The first Prototype Sep?1982

1982年秋のJEMモデルショー・トーキョーにて発表されたモデルが、最初の試作品と思われます。設計を担当したのはRC12に引き続き高橋悦三氏。かつて日本橋三越に横堀模型の直営店があった頃からの常連さんだった高橋さんが、是非ともオフロードラジコンを作らせて欲しいと横堀さんに訴えたことから開発に至ったとのことです。

※2024.10.24追記
以上のように聞いていたのですが、実際は違うそうです。開発は鈴木部長(当時)が中心になり、当時ヨコモに就職して間もない鬼塚さんやジョイプラザにいた尾上(充至)さん、高橋さんらが加わって行われたとのこと。

最初の試作車はギアボックスが前輪駆動用と後輪駆動用で2分割されているのが特徴です。モーターをセンターに積むことを優先させたのだと思いますが、チェーンの取り回しにかなり無理がありますね。これは後に一体型へと変更されますが、歯車の構成としては変わっていないのではないかと思います。アソシのRC12Eのスパーギアを流用したボールデフもこの時点で採用されています。

2nd Prototype  Apr.1983

当初は83年4月の発売を見込んでいましたが、計画は遅れに遅れ、4月の時点ではまだボディも成型されておらず、ギアボックスを一体化した改良版がモデルジャーナルで発表されました。特徴的なフラットパンシャシーと前後モノショックは、横堀さんがアメリカ市場をリサーチした際に目にした、SRB(バギーチャンプ系シャシー)ベースのカスタムカーの影響が大きいとのこと。当時はSRBのリアサスにRCHやレースプレップのモノショックキットを組み込む改造がアメリカでは流行っており、悪路を走行する上でモノショック有利という一定の評価があったのですね。(もちろんコストの問題もあったと思いますが。)このセカンドプロトのロールバーが後ろまで回り込んだロールケージ形状になっているのもカスタムSRBからの影響なのでしょう。ホイールはすでに成型品のように見えますね。

ちなみにここからは余談ですが、市販モデルのホイールやバッテリートレーは黄色いナイロンで成型されていましたが、これは横堀さんのラッキーカラーが黄色だからです。横堀さんは黄色とピンクがラッキーカラーだそうで、834Bは黄色で成功したから870Cのホイールはピンクにしたのだとか。御本人も長年黄色いポルシェを乗り継いでおられますし、いつも黄色やピンクのポロシャツを着ておられます、


そして細かいディテールの煮詰めが終わると、83年夏にはPOM(ジュラコン等)削り出しのファイナルプロトと言うべきモデルが完成します。これをベースに三共ラジコン製作所(※注:GPバギー等を製造していた大阪の三共製作所とは別会社で三共プロポの製造販売元)で金型の製作と樹脂成型が行われ、大阪の技研モデルでアルミパーツの切削が行われ、蒲田のオートモデルでオイルダンパーが製作されるなどして、いよいよ製品版が完成します。ちなみにタイヤにはダンロップの刻印がありましたが、こちらは実際にダンロップ製品を製造していたメーカーで生産しており、ダンロップの許諾も得ていたそうです。京商スコーピオンのグッドイヤーなどは許諾を得ていなかったため、輸出開始後にトラブルを防ぐためSAND SUPERという架空のブランドに変更されましたが、ヨコモのダンロップはそのまま販売が継続されたわけです。

そしてすべての生産準備が整った頃にはすでに11月となっており、年末商戦にギリギリ間に合ったという感じだったのでした。

3rd Prototype  Jul.1983

ところがクリスマスシーズンとなっても、お年玉シーズンとなっても一向に注文が入らず、会社は大慌てだったとか。ようやく売れ始めたのは84年の4月になってからだったそうです。横堀さんの想像では、ドッグファイターはやや上級者向けのモデルだったこともあり、当初は若年層のウケがあまり良くなく、中学校高学年〜高校生以上のユーザーから火がついたことから、受験などが一段落するまでは買い控えされていたのではとのことです。しかし一度火がつくと今度は逆に出荷が間に合わず大混乱になります。ドッグファイターは半完成品だったため、不眠不休で必死で組み上げたとか。各部品の精度も当初はあまり良くなかったため、部品同士の相性の良いものと悪いものがあり、ドッグボーンとカップの相性などをいちいち確かめて組まないといけないために時間がかかったそうです。しかし半完成品だったことが、逆に幸いだったとも。もしキット販売だったらクレームが殺到したことでしょうね。


1st AD (Oct.1983)

さて発売開始後のドッグファイターですが、こちらも色々と変遷がありました。巷では緑のギアが入っていれば最初期となっているようですが、それはちょっと違います。僕が知る限り、84年中に出荷されたもの(恐らく第2ロットまで)はすべて緑のギアでした。というのも僕がはじめてドッグファイターを購入したのが85年1月で、これにも緑のギアが入っていたからです。(恐らく出荷は84年末だったと思われます。)

Early Shock(1983-1984)

一方、最初のロットにしか採用されなかった部品があります。83年末から84年夏ごろまでの間に出荷された製品です。それが、定容量型のショックです。これはケースがトップキャップタイプになっており、そこにピストンシャフトを貫通させることで定容量化を実現していました。しかしコストが嵩むことと、オイル容量が少なくなることなどから、すぐに同時期の京商サーキットバギー用ショックと同様のボトムキャップ型のエアレーションタイプに変更となります。ちなみにドッグファイターのショックと京商CBショックは同じオートモデルで製作されていたようです。それゆえにキャップやシャフトは両者で互換性があり、キャップがローレットじゃない京商のキャップの方がしっかり締めやすいため、僕は当時キャップだけ京商のものに替えていました。(ワンダードッグのショックキャップは京商と同型に変更されました)

L→R:Mk1(83-84),Mk2(Spring85-),Mk3(Fall85-),Mk4(Fall86-)

ギアの方は最初期のものは薄いグリーンの成形品です。84年中に出荷されたものはすべてこれが入っていました。スプロケットも同様です。しかしこの素材は非常に摩耗しやすく、あっという間に坊主になりました。それで85年になると乳白色のものに変更され、かなり耐摩耗性は良くなります。さらにワンダードッグコンバージョンキットが発売される頃(85年11月頃)になると、グラス混樹脂にスチールシャフトのものに改良され、非常に丈夫になります。さらにこれはほぼ最終期となりますが、86年の後半には摩擦係数の小さそうな現代的な白い樹脂のギアとなります。この最終タイプが一番製造数は少ないのではと思われます(個人的な肌感覚です)。

L:Early(~Fall85) R:(Winter85~)

リアサスアームは左が古いタイプで、右が後期になります。ギルロッシJrの世界戦優勝車がリアサスアームに補強を施していたことから、これを参考に85年夏に金型が改良されました。古い成形品も残っていたため、スペアパーツとしては旧品のみが供給されていましたが、ワンダードッグコンバージョンキット(85年11月頃に発売)とワンダードッグキット(86年1月頃に発売)に組み込まれた後にはZB-23Nとしてスペアパーツも供給されるようになり、スタンダードなドッグファイターのキットにも最終期のみですが新型が組み込まれました。


L:Early(~Summer85) R:(Fall85~)

サスアームが改良される以前に地味に改良されていたのがフロントアクスルです。素材の改良により、ワンウェイベアリングで溝ができてしまうトラブルがなくなりました。初期のアクスルはすぐに溝ができてクラッチが効かなくなるため、しょっちゅう交換していたイメージですが、新しいタイプになってからは一度も交換しなかったと思います。それくらい丈夫でした。こちらも新しい方は部品番号がZB-8Nとなっています。黒っぽい酸化被膜になっているのが初期型で、後期はシルバーグレーのような明るい色になったので、違いは見てすぐにわかると思います。

それ以外にもワンダードッグになって変わった部分も多数ありますし、これですべてというわけではありませんが、とりあえずお持ちのドッグファイターがいつ頃の製造のものなのかは、これらのディテールで見分けられるのではないかと思います。


ドッグファイター復刻計画の顛末

YZ-834B 3D DATA(2013)

長らく放置しておりましたが、ブラウザの翻訳機能も進化してるので日本語だけでもいいかななんて考えつつ、ちょっと書いてみようかと思います。冒頭の画像を見たことがある方もいることでしょう。以前雑誌等でも少し紹介された834Bの復刻計画に伴い作られた3Dデータがこちらです。

僕もつい最近知ったのですが、なんと870Cが復刻されるとか。それを知って、いまだにもやもやされている方が多い834Bのことについて、ちゃんと説明しておかなければな、と思ったのです。今年は834Bの発売40周年ですし、丁度良い機会かと。

ことのはじまりは約10年前、確か2012年の秋ごろだったと思います。ヨコモのS氏と電話で雑談してる時に、ふと「来年はドッグファイターも30周年ですよね。記念の復刻版を数量超限定でも作ったらいいのに。」と言ったんです。で、この話はすぐに社長(当時)の横堀さんまで行きまして、面白いかもね、ということになったのです。

しかし会社としてはこの開発にコストはかけられない、ということで、まずなんとしても3D CADデータが必要ということになり、これはかつて「チームのうてんき(知ってる人は知っているはず)」周辺にいて、現在は3D CADのプロであるK氏に相談したところ、データ作成を快諾していただき、あっという間にデータが完成しました。

本当ならオリジナルの金型が残っていれば良かったのですが、834Bの金型製作と射出成型は当時東京でプロポなどの製造をしていた三共ラジコン製作所という会社(GPバギー等を製造していた大阪の三共製作所とは別会社)で行われており、会社はもちろん廃業。社長さんも他界されており、金型の残存は絶望的でした。ただ唯一、初代ボディの型だけはヨコモ社内に残っており、これが救いでした。またダンロップ刻印のタイヤは実際にダンロップ製品を成型していた会社で作られていたから実現したものだったのですが、会社は残存しておりタイヤの製造も可能だが、金型は残っていないということでした。

834Bの一部のパーツは1988年以降、アメリカのカスタムワークス社に同社のオーバルレーサー「ドミネーター」のパーツとして出荷され、同社にまだ在庫もあるため、これを逆輸入して利用する案も出ました。スプロケットは当時と同じく協育歯車に注文、ラダーチェーンはニッサ(現在は製造元の工場が廃業)に注文、駆動系についてはK氏が現行モデルのパーツを流用できるように設計してくださったため、足回りやバルクヘッドなど、最低限のパーツを作れば再現可能というところまで話は進みました。

CUSTOM WORKS DOMINATOR

ところが、です。横堀さんがどうにも乗り気じゃないのです。理由は色々あるのですが、一番の理由は834Bを設計されたのが高橋悦三さん(昔よく雑誌にも登場されてました)で、横堀さんとしては自分で設計した870Cの方が思い入れが強いことにあるようでした。故に870Cが最初に復刻というスト―リーも頷けますし、僕としては「あーなるほど」といった感じではあります。

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2024.10追記

他のポストでも触れましたが高橋さんが設計者というのはどうも誤りのようです。870Cを横堀さんが手掛けたのは事実です。が、870Cが先行販売されたのは主にコストの問題だったようです。

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それでも834B復刻計画は、雑誌で発表して既成事実化してしまおうというヨコモS氏の案により、RCMの山鼻さん(当時チームヨコモとして834Bを走らせていた方です)に協力していただき、ちょっとフライングでの発表となったのですが、結局発売には至らず計画は霧散してしまいました。

計画が消えた理由は前述の横堀さんの意向以外にも、コストの問題が大きかったです。ヨコモ的には新規で金型を起こす気はまったくなく、アルミの切削で再現する方向で進んでいたのですが、見積もりを取ったところ製造コストが想定した上代を上回ることがわかり、事実上不可能となったのです。それでもタミヤや京商と同じように金型を作り、当時と同じ製品を作れば、十分勝算はあったと個人的には思うのですが、当時はまだ京商のスコーピオンも発売前で、京商内でも復刻反対派が優勢だったくらいなので、ましてやドッグファイターなんて復刻しても売れないだろう、という見方がヨコモ社内では大勢を占めてたことでしょう。

1980年代と現在のラジコン業界を比較して大きく違うことがひとつあります。それは、ラジコンビジネスに携わる人のマニア化です。1980年代はまだラジコンレースも黎明期でしたので、ラジコンの開発や販売に携わる人も他業種から来た人などが中心で、どんなものを作れば売れるのかもわからず手探りで開発を行っていました。つまり、ユーザーが若年化していく中で、こんな商品を出したら売れるかも?あるいは他社のこんな製品が売れるからウチでも出そう、といったように、いわゆるマーケットインの開発が行われていたわけです。ところがそうして育てられたユーザー=マニアが業界に就職するにつれて、自分たちの作りたいもの、自分たちの欲しいもの、レースで勝てるもの、というのが開発の基準になってしまったように思います。つまりプロダクトアウトの開発です。

アイドルビジネスのように固定ファン層がいる分野であれば、プロダクトアウトの製品開発は成り立つのですが、現在のラジコンのようにシュリンクしていく市場ではマーケットインでやらなければ新規顧客の獲得は難しいのではないかと思います。1970-90年代のラジコン市場は熱狂的なマニアが非常に多くいて、その時期にはプロダクトアウトが通用してしまっていたので、市場が変化してもそれを引きずったままになっている、のではないでしょうか?そうしたプロダクトアウトでの製品開発しかしてこなかった人々にとって、834Bはすでに化石でしかなく、再び商品化することなどあり得ないという感じだったようです。たとえそれが市場の要望と相反していたとしても、です。しかしながらヨコモは数年前に横堀さんが勇退され、別分野から現れた経営に強い(と思われる)会社の傘下となりました。恐らく870Cの復刻決定はそれも理由としては大きいと思われ、834Bの復刻も実現する日が来るかもしれません。

正直なところ、僕個人としては834Bを復刻して欲しいとはあまり思っていません。自分のための部品はすでに一生分確保してますし、形になっている車体も20台以上ありますので、さすがにこれ以上欲しいとは思えないのです。しかしオークション等を見ると最近は復刻されていないモデルの値上がりが甚だしいですし、購入しても破損が怖くて走らせられないという声もよく聞きます。復刻版が出ればそうした方々が救われるのだろうなと思いますし、そのお手伝いができるなら、喜んでやらせていただきたいと思います。

(2024.10月追記)

と以上のように書いた後にまさかの復刻という(笑)834Bは成形パーツが多い(=イニシャルコストが高い)ため様子見で870Cが先行で販売されましたが、その好調なセールスを受けて834Bも発売することになりました。

ただ今回の復刻に私は一切関わっていません。(資料提供だけ一部しましたが)個人的には十分以上に車体もパーツもあるので今のところ購入予定もありませんが、再販を熱望していた方、リペアパーツが必要だった方には朗報ですよね。タミヤが開拓し、京商が発展させてくれた復刻ビジネスに、横堀さんが引退した後の新生ヨコモがようやく参戦してくれたといったところでしょうか。まあその復刻版の内容には色々思うところもありますが、今後うまく発展してくれたらいいなと思いますね。1つだけ情報を付け加えておくと、今回の復刻版のボディの型は当時の型そのものです。なのでロールバーと高さが合わないとか、どう切ったらいいのかわからないといった問題もそのまま引き継いでいるわけですが、それも当時の雰囲気を継承していると考えて、懐かしむなり面白がるなりしていただけたらと思います。って僕が言うのも変な話なんですが(笑)

Friday, December 7, 2012

1985 IFMAR 1/10 OFF-ROAD WORLD CHAMPIONSHIP

Modified A-main 1st:Gil Losi Jr./Yokomo 834B, 2nd:"Jammin" Jay Halsey/Team Associated Prototype 4X4
'85年にカリフォルニア・デルマーのランチピットショップ・オフロードトラックで行われた第一回世界選手権は、僕にとって様々な面での原点です。まず何と言っても衝撃的だったのが、その素晴らしいレース環境と、アメリカ人のセンス。当時の日本はベニヤ板のジャンプ台と鉄パイプの操縦台があるだけのサーキットを、美少女アニメを描いたラジコンが走り回るような状況。まさに雲泥の差です。そしてもちろん、自分が惚れ込んでいたドッグファイターが活躍していたことも、嬉しかったことであり、また意外でもありました。日本ではドッグファイターが主流とは言えなかったし、アメリカはRC10一色だと聞いていましたから。

雑誌の世界戦の記事は、何度も読み返しました。そして徐々に、ラジコンだけでなくファッションやグラフィック、自動車など、すべてのアメリカンカルチャーに惹かれるようになったのです。バギーというカルチャー自体が、ドイツ車のVWを元にカリフォルニアで生まれたものなわけですが、RCバギーのレースもまたカリフォルニアが起源です。'70-80年代のカリフォルニアは、当時からポパイなど日本の様々な雑誌でも紹介されていた通り、本当に輝いていました。その記憶を辿り、当時の雰囲気をRCバギーで表現することが、僕にとって一番の楽しみ方です。

Ranch Pit Shop off-road track; Del Mar, San Diego, California
A main final:  Jay Halsey's RC10, Mike Giem's Scorpion, Eustace Moore's RC10
2WDの主流は圧倒的にRC10でしたが、京商の代理店だったCOXとレブテックモーターのサポートを受けたマイク・ギームと、デルタのサポートを受けたポール・ディオンがスコーピオンでストッククラスAメインに残りました。RC10が登場する以前の主流だったスコーピオンは、様々なホップアップパーツが開発されており、ミッションをMIPに換装するなどして、1987年頃までアメリカのレースシーンでは見られたようです。ストッククラスのTQはギル・ロッシJrでしたが、ファイナルでは3本ともジェイ・ホールゼイが勝ち、完全優勝を遂げています。

余談になりますが”Halsey”は日本の雑誌だと”ハルゼイ”と書かれることが多いようですが、本来の発音は限りなく”ホールゼイ”に近く、個人的にハルゼイという表記は大変に違和感があるので、ここではホールゼイとさせて頂きます。

A main final heat2: Jay Halsey reading the race, 2nd Chris Allec and 3rd Paul Dionne 
A main final, left to right: Losi's Yokomo, Halsey's RC10 4x4, Allec's Hirobo based car
7セル8.4Vバッテリーを積んだモディファイドクラスは、834B一色という感じでしたが、RC10のデザイナーであるロジャー・カーティスが製作し、ホールゼイがドライブしたプロトタイプ4WDと、クリス・アレックがヒロボー44Bをベースに開発した自作4WD、そしてMIPのケーブルドライブキット”4X”を搭載したRC10が、MIP社長であるユーステス・ムーア自身のドライブでAメインに入りました。優勝はロッシJr、2位はホールゼイ。ファイナル3ヒートはロッシJrが1-5-1、ホールゼイが2-1-2という僅差で、1ミスで順位が逆転するところでしたが、RC10プロトはリアモーターだけに巻き始めると止まらないようで、ホールゼイはかなり苦労していたように見えます。それでも優勝寸前まで行ったのは、やはり当時のホールゼイのドライブがキレていたのと、アソシのNo.1ドライバーゆえに世界最高のパワーユニットを得ていたからでしょう。アソシのNo.1ドライバーに与えられるマッチドバッテリーは、数万本の中から選ばれた奇跡のセルの組み合わせだったと言います。もちろんロッシJrをサポートしていたトリニティも強かったわけですが、会社の規模を考えるとアソシ/リーディには及ばなかったのではと思います。

Modified class concours
Vince Ito's stock class concours winning Scorpion
日本ではConcours d'Eleganceを短縮してコンデレと呼んでいますが、コンコースは当時のアメリカのレースでは必ず付き物のイベントでした。モディファイドとストック両方で賞を取ったハーブ・ハンスは、「僕はドライバーとしてはトップレベルじゃないから、その分マシンの仕上げで頑張ってるんだよ」と言っていましたが、彼らはただ速さを求めるのではなく、様々な楽しみをそこに見いだしていたように思います。

ストッククラスで賞を取ったCRPのヴィンス・イトウはなかなか多才な人物のようで、この世界戦ではDJも務めていましたし、当時のCRP の広告やレースの告知では、彼のイラストがよく使われていました。日本で言えばテリー佐原さんのような感じ?でしょうかね。

Stock class A main, left to right: Mike Dunn(10th),Tony Niesinger(3rd),Mike Giem(4th),Gary Kyes(7th),Eustace Moore(5th),Gil Losi Jr.(TQ&2nd),Jay Halsey(1st),Kris Moore(6th),Paul Dionne(8th) 
Both class winning cars
いつかレプリカを作りたいと思って部品を集めているものの、なかなか実行していない両優勝車。ホールゼイのRC10は軽量化対策以外ほぼノーマルですが、フロントがプロラインのノビータイヤ、リアがホリデーバギータイヤというのが特徴的です。当時西海岸ではどのトラックでも、2WDはこの組み合わせが主流だったとか。フロントにミリベアリングを使えるよう、5mm径のアクスルが色々なメーカーから発売されていました。しかしこれを真似ても、日本の土にはまったく合わないのが残念です。対してロッシJrの834Bは、基本構成は変わらないものの、信頼性や強度を上げる工夫が色々と施されています。市販のパーツとしてはホットトリックのロアアームやデルタのグラファイトシャシー、ショック、スリッパークラッチなどが目立つところ。タイヤはプロラインの09-834で、これもまた4WDではどのトラックでもこのタイヤが主流だったようです。

When I was 12 years old, I have seen IFMAR 1985 reports on Japanese magazines. It was stunning. Really stunning. Since then, I was going to be interested in American culture not only RC but also Fashion, Car, Graphics etc. The scene of California in 1970s-1980s was so sweet, and highly modified off-road racers were so cool. And so, now I'm making vintage RC buggy to feel good sweet back in the day...

Wednesday, December 5, 2012

Yokomo 834B featuring Herb Hanss


その昔、CRPというホップアップパーツメーカーがありました。そしてそのスタッフの一人に、ハーバート・ハンスという人がおりました。この方、'80年代初頭から1/10のレースにはよくエントリーしていまして、ドライバーとしてはトップレベルではありませんでしたが、クルマをきれいに仕上げるのが上手で、コンデレ荒らしのような人でした。

そして1985年のIFMAR世界戦でも、834BにMRPミアーズボディを載せたマシンでコンデレを獲得。当時ラジマガでその写真を見た僕は、その初めて見るスタイルにKOされてしまったのでした。でも同じものを作りたくても、見たこともない細いロールバー(DELTA)や、ボディもどうやったら買えるのかわからない。だから当時はあっさり諦めてしまったわけですが、心の片隅にずっとあの写真が残っていて、いつか作ってみたいと思っていました。


そんなわけで、このマシンはレプリカというわけではありませんが、ハーブのマシンにインスパイアされて作ったものです。ロールバーはもちろんデルタ。メインシャシーもデルタのブラックFRPのもの。その他、Hot TrickのFロアアームとリアブラケット、京商の1/8ショック、CRPのショックブラケット、JGのバンパーなどを組み込んでいます。ホイールはMini-mag、タイヤはプロラインのチャンピオン。このタイヤはもともと834B用で、09-834という品番でしたが、Gil Losi Jr.が使って世界戦で優勝したあと商品名が変更され、サイドウォールにも刻印されるようになりました。

駆動系などはストック状態で、特別なことはしていませんが、僕が走行用の834Bに行っている、一通りのカスタムはしてあります。それらはまた追ってご紹介しましょう。姿は違っても、走りはもちろん834Bらしい走りをします。走らせて楽しい一台です。


動画からのキャプチャーなので見づらいですが、これが本家Herbert Hanss's 834Bです。ウインドウは丁寧に切り抜かれ、セーフティネットが張られ、ドライバー人形が載せられています。しかしこのボディ、世界戦の後に行われたローカルレースで、見事に屋根が潰れてしまったようです。窓の切り抜きはリアリティが出て良いのですが、走行用にはちょっと恐くて出来ませんね。

This 834B is featuring Herbert Hanss who was working for CRP back in 1980s. His 834B got concourse win at IFMAR 1985. I saw some pictures of his car on Japanese RC magazine back in the days and had been wanting to build it by my self. It has DELTA's rollbar and chassis, JG bumper, CRP shock brackets, Kyosho shocks, Hot Trick lower arms and bracket, Mini-mag wheels, Pro-line Champion tires etc.

Tuesday, December 4, 2012

Introduction

1980年代、少年だった僕は、他の多くの同世代の人たちと同じように、ラジコンに夢中でした。ドッグファイター、オプティマ、トマホーク、RC10などなど、僕らを魅了した名作バギーたち。いつしか大人になり、ふとあの頃を思い出した時、僕はそれらのバギーの魅力を再確認しました。そして今再び、僕は夢中です。あの頃のRCカルチャーの魅力を、皆様と共有出来たらと思います。

僕が一番好きなモデルは、当時も一番お気に入りだったヨコモ・YZ-834Bドッグファイター。数年前、アメリカ仕様のドッグファイター”RPS YOKOMO SE”をレストアし、サーキットで走らせたものを動画にしました。まずはそれをご紹介しましょう。当時のYouTubeはまだ低画質だったので、少々見にくいかと思いますがご勘弁を。(追記:このムービーが著作権の関係で日本では閲覧不可になっているようです。日本では発売されていない音源のはずなのですが…)


Back in 1980s, when I was boy, crazy about RC racing the same as you. Yokomo Dog Fighter, Kyosho Optima, Associated RC10 etc... Now grown up, and I re-found its great attractiveness. Yes, now I'm crazy about them again. I hope to re-enjoy 1980s RC baggy culture with you.

My most favorite model is Yokomo YZ834B. I run it so much back in the days, and still love it. A few years ago, I have restored RPS YOKOMO SE and made a movie. Sorry for low-res due to YouTube's regulation at that time, but I believe you will like it as long as you were crazy too.... Enjoy!