Saturday, August 12, 2023

RANCH PIT SHOP

Gil Jr. & Allen were member of Team Variflex

アメリカにおけるドッグファイターの輸入販売元であり、後のTeam Losiの母体でもあるRANCH PIT SHOP(RPS)のルーツ、それはスケートボードです。1970年代、プライウッドのデッキを採用した現代的なスケードボードが完成すると、アメリカ西海岸を中心としたスケボーブームが沸き起こりました。そんなムーブメントに勝機を見出したギル・ロッシは、兄弟と息子たちを巻き込んでスケートビジネスに参入します。そして1977年頃にバリフレックス・スケートボードという新ブランドを設立。サポートアスリートには長男ギルロッシJrと次男アレンロッシも名を連ねました。

Rancho Mediterrania Skatepark 1981

そして翌1978年にはスケボーシーンを盛り上げるべく、カリフォルニア州コルトンにパークをオープン。このパークの正式名称は「ランチョ・メディテラニア・スケートパーク」でしたが、通称ランチと呼ばれていました。ここは当時のスケートブームの中心地となり、ナショナルズ(全米選手権)が行われたりしたほか、あのトニー・ホークもここがホームだったそうです。

Gil Jr. took 3rd place for Pro. Slalom class at 1981 Nationals

しかしそんなスケートビジネスが順調だった80年代初頭、ロッシ親子はMRC(タミヤの代理店)が輸入販売を始めたRough Rider(バギーチャンプ)で遊ぶ少年たちを見かけ、一瞬にして心を奪われてしまったのです。次はこれだ!と閃いたギルはすぐさまランチスケートパークの横にオフロードサーキットを造成。リテイルストアを併設してRCホビービジネスに参入します。

THORP Raceway

スケボーブームが始まったのと同じ頃、アメリカではそれまで人気だったスロットカーやテザーカーに代わりラジコンもブームとなりつつありましたが、その初期は大人たちがメインで楽しんでいた1/8GPオンロードが中心で、雨の日にインドアで楽しむための1/12EPオンロードが少々、といった感じでした。その頃にRCの聖地だったのがTHORPブランドで有名なジョン・ソープがカリフォリニア州ポモナに所有していた「ソープ・レースウェイ」です。しかし80年代に入るとジョンソープはダートバーナーズレーベルをスタートさせるなどメーカー業へとシフトしていき、ソープレースウェイはジョーリンチという人物に売却されました。ジョーリンチはしばらくトラックを運営しながらピットショップというリテイルストアを併設し経営していましたが、それをコルトンが手狭になってきたギルロッシが1981年に購入したのです。ロッシが買収する前には、ランチレースウェイとピットショップの広告が並んで雑誌に掲載されるという珍しいケースも見ることができます。


RANCH Raceway and PIT SHOP


そうして両者が融合し、ランチピットショップが誕生しました。オンロードとオフロードのトラックにホビーショップ、さらにスケートパークやゲームコーナーも併設。80年代の少年たちにとって夢のようなショップの誕生です。

Ranch Raceway in Pomona

ポモナのRPSはソープ時代からの1/8トラックの横にオフロードトラックを開設。奥に見えるこれまたソープ時代からある建物がショップになっていたようです。コース側に立っているのはRC10プロトのテストをしているギルロッシJrとアートカーボネルですね。84年頃だと思います。

Ranch Pit Shop in Pomona

が、しかし。内陸部にあるポモナは夏には暑すぎるという問題があり、ショップ主催のレースはナイトレースが中心だったとはいえ、夏がメインのORRCA主催の公式レース等を開催するにはもっと環境の良いところが相応しい、ということになったようで、84年春に南カリフォルニアのデルマーに土地を確保し、ここにオフロードトラックを移設、ショップも併設されました。

Off-road track in Del Mar

デルマーは海に近く、夏でも比較的涼しいため、ナショナルズをはじめ多くのレースがここで開催されました。85年のIFMAR世界戦の会場となったのもここです。

Del Mar. Track profile

デルマーのトラックは、アスファルトの駐車場のようなところに木枠を設置して土を運び込んで作られていました。レイアウトはほぼ固定で、世界戦であっても変更されることはなかったので、圧倒的に地元勢有利だったと思われます。今では考えられないですね(笑)

RPS used to have two locations in 1985-1986

というわけでしばらくの間はポモナとデルマーの2拠点で運営されていたRPSですが、86年にはデルマーは閉鎖され、再びポモナに集約されることになります。恐らく理由はRCメーカーとしての活動がスタートしたことと、スケート事業のドタバタでしょう。ギルロッシSr.はマスマーケットを志向した兄弟と意見が食い違うようになり、85年頃にバリフレックスから離脱します。息子たちもスケボーとラジコン、2足のわらじを履いていましたが、ギルJrはラジコンの道へ、アレンはスケボーの道へ進むことを選び、それぞれの得意分野を極めていくことになりました。

Allen Losi in action

ラジコンでは86年にRPS Yokomo SE の発売と同時にTeam Losiブランドがスタートしますが、スケートでもすでにスタープレイヤーとなっていたアレンの主導によるTeam Losiがスタートしました。また87年の1/8GP世界戦のポモナでの開催も決まり、そういった新しい局面を迎える中で、2拠点を維持し続けるのはリソース的に難しかったのではないでしょうか。ちなみにアレンロッシは85年のIFMAR世界戦にも出場し、モディファイドクラスでCメイン7位の記録を残しています。マシンはもちろんドッグファイターです

RANCH PARK in Del Mar

RANCH Racetrack in Del Mar

80年代のスケートパークの写真を見ると、後ろにオフロードトラックが写り込んでいることがあります。上の写真の後方にあるのが86年頃のデルマーのオフロードトラックですね。トラック側からの写真でも後方にプールがあるのがわかります。スケボーとオフロードRC。この2つが常にランチピットショップの両輪だったのです。ついでに言うと、Team Losiはヨーヨーの世界でも有名な存在でした。ギルロッシは80年代の少年たちの心を鷲掴みにしていたと言えるでしょう。

Gil Losi Sr's '67 Buick Riviera

ギルロッシSr.はカーガイとしても有名でした。彼のリヴィエラは様々なカーショウでおなじみの一台でしたし、実車のレースにも取り組んでいました。残念ながら2022年に亡き人となってしまいましたが、僕らのようなオフロードラジコンファンにとって彼が与えた影響の大きさは計り知れず、決して忘れさることはできない存在のように思います。

Friday, August 11, 2023

Japan RPS


YZ-834B Japanese RPS Edition

当時ドッグファイターを持っていた方なら覚えていると思います。オレンジのタグがついたRPSのオプションパーツ。実際のところ、当時日本の模型店ではそれくらいしかドッグファイターのホップアップパーツは売ってなかったですよね。リアの独立ショックキットが6800円とか、当時まだ小学生だった自分は悶絶したもんです。ただただ憧れるしかなかった人がほとんどだったことでしょう。そんな当時の憧れをほぼ新品パーツを集めてカタチにしてみた一台がこちら。Jrレプリカを作った頃に前後して組んだものです。なお、こちらはメカなどは載せずにローリングシャシー状態で完成としています。


ポリプロピレン製の軽量シャシー(実際は柔らかすぎて無意味)、前後ブルーショック(キャップがローレット加工で締めにくくリアは跳ねまくり)、テンショナーつきチェーンガイド(スプロケットの前後歯数を揃えない限り結局外れる)、グラスファイバー製前後ハブ(すぐワンウェイ緩んで空回りする)、純正よりも太さを増したオキールアンテナ(横堀氏命名…でも全然起きない)といった見かけ倒しなカスタムパーツのオンパレード(笑)でも当時このパーツを揃えようとしたら、もう一台キットを買えましたからね。かなりの高級仕様ではあります。


ちなみにホイール&タイヤはAYKがコンドルブランドで販売していたもの、ボディはレインボープロダクツがダートバーナーズブランドで販売していた米Parma社製のチェノス・ヨコモです。

当時は日本のどこかの模型店でこんな見本車両が店主によって組み立てられ、ショーケースに飾られていたんじゃないですかね。そんなイメージで作ってみました。


というわけで、RPSという名前をオレンジのタグではじめて知ったという人は多いんじゃないでしょうか。僕もそうでした。どのパーツも高いけど、まぁ輸入品だから仕方ないか―なんて騙されてた人が大半なのではないかと(当時$1=250円くらいですし)。しかしですね、実はこれらのパーツ、RPSから名義だけ借りてヨコモが独自に製作・販売していたもので、実際はRPSとは無関係な商品でして、USでは一切販売されていなかったんですね。僕は85年くらいから横浜の西山サーキットや川崎のいちむらサーキットのレースに出ていたのですが、そこで目にする鬼塚さんや尾上さんなど、事実上のヨコモワークスの方々の車体にこれらのパーツがまったく使われていないことが気になっていたのですが、まぁつまりどれもあまり意味の無いパーツだったと(笑)


そんなオレンジRPSタグパーツですが、唯一鬼塚さんらが使用していたのがLLCホイールというものでした(LLCってなんですかね?ロングライフクーラント?w)。これもまた2本で2600円と高額でしたので当時は買うことができませんでしたが、一瞬だけ店頭に並んですぐに姿を消してしまいましたので、多分一連のRPSパーツでは一番数が少ないのではと思います。このホイール、実はアソシのRC250(1/8GPカー)のフロントホイールを旋盤で削ったもの。純正ホイールよりも大径でホットショット等のタイヤを接着して使う想定なんですが、鬼塚さんは当時西山で一番食うと評判だったタミヤスバルブラット用タイヤ(=バギーチャンプ後輪)を無理やり接着して使用していましたね。ちなみにRPSタグの製品が無くなったあとも、草加のホビーショップスズキが同じものを作って売っていました。今も続くTEAM SUZUKIのルーツですね。というわけでこちらもRPSとは何も関係がありません。



本当のRPSのパーツはこういったものです。上はアメリカでド定番だったホリデーバギーリアホイール用のキャップ、下は京商CBショックをドッグファイター用にケースをショート加工したもの(左は別のメーカーのもの)です。その後ドッグファイター用のホップアップパーツ(グラファイトシャシー等)がいくつか出て、その後のTeam Losiへと続いて行きます。そんなRPSとは何なのか、についてはまた改めて投稿しようと思います。



1985 Worlds Car project: Jammin' Jay Halsey's RC10

Perfect Replica of 1985 Worlds Car (Stock Class)

続いてジャミンことジェイ・ホールゼイのRC10です。こちらも部品集めにかなり長い時間がかかりました。海外の皆さんも色々なレプリカを作ってらっしゃいますが、日本の雑誌ほど鮮明なカラー写真が海外の雑誌には出ていなかったこともあって、不十分な資料で適当に作られたものが多い印象でしたので、とにかく完璧を目指してやろうと思って取り組んだプロジェクトです。


ロッシJrのドッグもそうですが、こちらも細かい加工が各部に施されているのが特徴ですので、パーツ等が揃ったところで今一度当時の雑誌をよく見返し、参考になるディテールの写真をスキャンしてこんなコラージュを作りました。これを常にチェックしながら寸法を割り出し、加工を進めていきました。


シャシーはAスタンプ初期のライトゴールドのものを使用。サイドの部分はかなりカットします。これも後期のAスタンプやBスタンプ以降に比べたらかなり薄い色のアルマイトなんですが、それでもスタンプ無しの最初期型に比べるとちょっと色が濃いんですよね。恐らくジェイの車体はノースタンプだと思うので、いずれ作り直すかもしれません。あんまり納得行ってないです。


ノーズプレートは前部のカット割合が写真からだと分かりづらく難しかったです。一度失敗してこれは二個目。ライトゴールドのノーズプレートがもう手持ちがなかったので緊張しましたw


写真で見る限りショックはかなりアルマイトが剥げているようだったので、リアルさを追求して手持ちの中古ショックから似たような色と状態のものを選びました。


これも忘れてはいけないポイント。デフリングの部分にイモネジを組み込んでスリップを防止する加工です。これはMIPのピニングキットを使って施工したのですが、写真をよく見るとジェイ(というかお父さんのジム)が使ったネジとは径が違うぽい(5-40→4-40)ので、これも本当はやり直したかったりして…


樹脂パーツについてはすべて新品を投入しました。当初は復刻版のパーツでいいかと思ったのですが、よく見るとフロントサスアームの形状が全然違ったりして、結局すべてオリジナルパーツを使用しています。リアサスアームは穴あけ加工。その他純正以外のパーツとしてはJGのAメインバンパー、コンポジットクラフトのフロントショックタワー(ショックマウント用のネジ穴を下方に増設)、プロラインのフロントホイール&タイヤにRCHのアルミホイールキャップ(ウェイトを増やしてグリップ向上を狙った??)でタミヤホイール用ベアリングアダプター(アソシ純正オプション)を介してマウント。リアタイヤはホリデーバギー後輪、あとデルタのアンテナパイプマウントにCRPのアンテナパイプといったところです。


モーターはストッククラスの支給モーターがラベル無しのヨコモ05でしたので、05Rのラベルを剥がし、マイクリーディーが加工した風を狙ってカンに5mmの穴を空けました(そこからドライバーを突っ込みコアをねじって進角をつけていたらしい)。ピニオンは当時の雑誌情報のギア比から計算して15T(アソシ製)をチョイス。ちなみにスパーは当時は54T一択(または1/12用の44-48T)です。


参考までに、こちらが実際にリーディーさんが加工した実物のストックモーターです。サイドに穴がありますね。ただイガラシモーターですので今回のプロジェクトには不適。ということで、これを参考に05Rに穴あけをしました。


メカはサーボがフタバS131、ESCはノバックNESC-1、受信機がノバックNER-2S、なのですが、27Mhz版の中身がどうしても手に入らなかったので、現状75Mhzの基盤を27Mhzのケースに入れてアンテナ線は黒に替えたものになっています。でも見た目は完璧かと。


バッテリーはUSサンヨーのパック品であることはわかりましたが、ラベルを下側にして搭載してあるので、どんなラベルなのか調べるのに苦労しましたw ここまでやってる人は恐らくいないのでは。正解はこの通り、SUB-C3本の3.6V表記のラベルなんですね。このステッカーは市販のプリントラベルで出力して上に梱包テープを貼り付けただけの簡易なものです。


ボディも80年代の当時物です。プロテックボディは3回ほどモールドが作り直されており、今も入手は可能ですが初期のものとは少し形が違いますし、何よりサイドウインドウのネットのディテールが全然違います。というわけでオリジナル品を慎重にカット。特に左側三角窓のエア導入部のカットが難しいです。この部分、僕はかなり特徴的だと思うんですが、再現してる車体を見たことがないですね。


ペイントはすべてタミヤスプレーです。多分オリジナルもそうではないかと思います。青の色味とかラメの具合がそっくりなので。下手にファスカラーとか使うと全然違う色になると思います。


ウイングのベースはドッグファイターの純正です。マウントパーツもドッグ用。それに翼端板を両面テープ(例のDr.ナカマツのやつw)で貼ってあります。翼端板の形状はアソシの広告の写真から解析しました。


ステッカー類は手に入らないものはデータを作成してプリント屋に注文しました。MCI RACINGというところがレプリカを作っているので一応買ってみたのですが、寸法等々がデタラメなので使えなかったです。まあまあ高い割にインクジェットなので透けるし、特にJammin'の「'」が見落とされてるのがあり得ないです。カーナンバーや星条旗はオートグラフィックのもの。テール側に貼ってあるステッカーが最初謎だったのですが、動画をチェックしてたらReedyステッカーが貼ってあるのを確認できてことなきを得ました。


それと忘れてならないのがプロポ!日本で言うところのサンワ マシーンAですが、アメリカではエアトロニクスXL2Pです。本体はわりとすぐeBayで見つかりましたが、意外と1バンドのクリスタルが手に入りませんでした(ジェイが決勝で使ったのが1バンドなのです)。当時の客は子供が多かったので色の好みでバンドを選んだ結果、赤(2)、緑(5)、青(6)ばかりが売れて茶色の1は全く売れなかったそうです。なので、生産数が少なくあまり残ってないのかもですね。


というわけで最後に当時の雑誌写真に似せて撮影した比較写真を並べておきます。どうでしょう?自分的にはかなり満足しておりますが。いずれジェイ本人にノーズ部分のサインをもらえたらいいですね(笑)





















Tuesday, August 8, 2023

1985 Worlds Car project: GIl Losi Jr.'s 834B

Perfect Replica of 1985 Worlds Car

11年前の投稿ではいつかは作りたいなんて書いてましたが、ついに実現しました!夢の1985世界戦優勝車の完全レプリカプロジェクトです。ちなみにドッグファイターは2018年、RC10は2021年に製作完了しています。というわけでまずはモディファイドクラス優勝車、ギルロッシJrの834Bの方からご紹介します。

L:Original R:Replica

使っているパーツは90%以上オリジナルと同じはずなので、かなり近いものになっていることがわかるかと思います。メインシャシーはコンポジットクラフト(D&Dグラファイト)のもので、中古品です。実は20年ほど前にこのシャシーを手に入れた時から、このプロジェクトに使おうと思って取っておいたものなのです。というのも、ギルJrはシャシーの端の方を路面との干渉を防ぐために削っていたのですが、その加工がこのシャシープレートにはすでに施されており、バッテリーも直置きしてタイラップで固定した痕跡があったため、恐らくJrとディベロップを行っていたRPS周りの誰かが使用していたものと思われ、この計画にはうってつけだと思ったからです。

フロント&リアショックはともにデルタの1/10用のブリーダーバルブ付きの初期型、フロントはショートタイプです。ただ僕の持っていたショートショックではピストンシャフトが短すぎたため、eBayにたまにデルタのパーツを出品しているデルタ創業者ビル・キャンベルの息子さんに連絡を取って、ミドルタイプのシャフトを譲ってもらい、ことなきを得ました。このレプリカを作ろうとすると、恐らくショックの入手が一番困難でしょう。デルタの初期型は非常に数が少ないです。スプリングはフロントはジャンクで持っていたものの中にまったく同じ巻数&巻き方向のものがあったのでそれを採用しましたが詳細は不明です。恐らくRCHかな?アジャスターはデルタ純正に軽め穴を施工(これが意外と難しい)し逆さに取り付け、ブリーダーバルブのシールはつけずにネジ直留めしています(シールをつけるとこの位置にアジャスターがつかないのです)。バネレートについてはかなり繊細にセッティングしていたようですね。


またフロントショックのピボットにはボールベアリングを仕込んであります。ワンダードッグファイターに採用された金色のショックはピボットにF63ベアリングを仕込めるようになっていましたが、それはJr車のフロントショックにベアリングが使われていたからなんですね。フロントショックブラケットはコンポジットクラフトのジャンクシャシー(1/8インチ厚)からカット。形状はCRPのものを参考にしていますが、オリジナルに忠実に荒っぽい仕上げにするのに気を使いました。Jrは以前CRPのブラケットを使っていたのに何故このブラケットをわざわざ作ったのだろうと思っていましたが、デルタのショックのケース側ピボットにうまく仕込めるベアリングのサイズ(FR133ZZ)の関係で、マウントビスが2-56になってしまうからなんですね。あらかじめ4-40サイズの穴が開けてあるブラケットではガタが出てしまうからでしょう。当時雑誌を見てなんでこんな細いネジを使ってるのだろう、と思った疑問も同時に解決。本当に芸が細かいです。ロアサスアームはホットトリックのブラックアルマイトのものです。当時のホットトリックの広告でギルロッシJrがうちのパーツ使って優勝したよって宣伝してるのでこれも間違い無いと思います。

バンパーは当初JGだろうと思っていたのですが、見比べてみると結構形が異なっていたので、カイダック板から切り出して自作しました。ただ手持ちの材料が3mm厚のものしかなく、恐らく実物は1/8インチ(3.175mm)のはずなので、若干薄いのですが、まぁそんなに違和感は無いので良しとしました。またバンパーを固定するナットは古いアソシのアルミロックナット(RC200あたりの)を使っています。


リアのバネはドッグファイターのキット純正のバネが同じもののようだったのでそれを使いました。アジャスターはアソシのものを使っています。ロールバー側のマウントはデルタ・スーパーフェイザーのショックマウントです。このパーツ、単体で手に入れるのが意外と難しく時間がかかりました。サスアームにはおなじみの補強板を取り付けましたが、コンポジットクラフトのこんなに薄い板を手に入れるのは不可能なので、残念ながらブラックFRPです。取り付けは2-56キャップビスで。834Bのリアサスアームの溝に2-56ネジがぴったり食い込むんです。


バッテリーはトリニティから発売されていた7セルのマッチドです。もちろん今となっては使えないと思いますが…。トリニティのマッチド特有の識別記号があることも個人的には重要だったポイントです。メカ類もすべて同じもので、サーボはサンワのスタントBB-HS、ESCはノバックNESC-1の第2世代(2ボリューム、①ステッカーつき)です。受信機はサンワの日本仕様の40Mhzですね。アメリカでは認可されてないはずですが大胆です。妨害電波対策でしょうか。さすが主催者の倅ですね(笑)ちなみにこのBバンドのクリスタルを手に入れるためだけに、ヤフオクでプロポ一式(エクセレンス)を落札しました。色々大変です。あと最後まで謎だったのがボディマウントで、てっきりスコーピオンのものだと思っていたのですが、よく見ると違うんです。結局手持ちのジャンク品の中から近いものを選び、カットして取り付けました。でも多分違うパーツです。


さてメカ的に一番ポイントとなるのがモーターです。当時の日本の雑誌ではヨコモの意向でモーターを搭載した写真は掲載されませんでしたが、IFMAR1985でトリニティが供給したモーターはすべて京商ルマン240Sベースでした。これは当時ジーン・ハスティングが撮影した写真でも確認することができます。(もっともレース直後にモーターは取り外されてチェックを受けるので、優勝が決まったあとでモーターつきの写真を撮るのは困難だったわけですが…。)


というわけで選んだのが下の写真のモーターです。このモーターはIFMAR1985で4位に入ったクリス・アレックから譲ってもらったものです。クリスもトリニティのサポートを受けていましたから、これは正真正銘のワークスモーターということになります。エンドベルはもちろんスロットカー用ブラシを使用するモジュラーエンドベル、テープを開封するのがもったいないので分解はしていませんが、当然手巻きローターと思われます。クリスがこのモーターを世界戦で使ったかは定かではありませんが、ヒストリー的には最適なものではないかと思っています。


しかし、世界戦でギルJrが使用したモーターは、ワークスモーターの中でもダントツによく回っていて、このモーターだけ「BRUTUS」という愛称がついていたそうです。レース後にブルータスはトリニティが持ち帰ったそうなのでその後の行方は不明ですが、どんなモーターだったのか非常に気になりますね。


ボディはボーリンクのファンコ2シーター・ヨコモ、ウイングはMRPのオフロードウイングです。このボディはボーリンク社の廃業時にあるマニアがモールドを譲り受け、レプリカを製作していますのでそれであれば入手は比較的楽かと思います。一方MRPのウイングは大変レアですが、ワンダードッグのものが寸法的にはまったく一緒です。


カラーリングは基本的にすべてタミヤのポリカ用スプレーです。オリジナルのボディは恐らくアンディ・ヤコブセン(Andy'sのオーナー)によるペイントですが、アンディも当時はほとんどタミヤやパクトラのスプレーをそのまま使っていたようなので、だいたい合ってるんじゃないかと思います。黒いグラデーションの部分だけブラックのスプレーの中身をエンジンシンナーで薄めてエアブラシで吹き、メタリックレッドのスプレーを吹いた後にブラックで裏打ちしています。写真を見比べる限りは完璧に再現できてるかと思いますが、どうでしょうか?

Top:Replica Bottom:Original

ステッカーは手に入らないものはイラレでデータを作成してシルクスクリーンで印刷してもらったレプリカです。写真によってはNovakのステッカーも貼ってあったりしますが、それはレース後に貼られたもので、レース中は貼ってなかったはずです。ポンダーを取り付ける穴なども忠実にあけてみました。


そしてプロポはエアトロニクスCS2P。三和マシーン1のUS版です。当然40Mhz版はありませんので、モジュールのみマシーン1のものに替えてあります。アメリカ市場ではプロドライバークラスでないとこんなに高価なプロポは使いませんので、今になって見つけるのもなかなか困難です。ちゃんと動くかはテストしていないので不明。


というわけで足掛け15年くらいかかったプロジェクトですが、ようやく形になりました。いずれバッテリーを使用可能なものに載せ替えて走らせてみたいとも思いますが、今のところは飾って目で楽しんでいます。何しろ長年の夢の実現ですので。ちなみにこのドッグをインスタに載せたところ、同じくAファイナルに残った元RPSスタッフのグレン・グラスがギルJrに知らせてくれ、御本人からフォローされました!これちょっとした自慢です(笑)