Wednesday, November 27, 2024

After the party

Concours d'Elegance

 O.S.R.M Vol.1無事終了しました!当日は抜けるような青空でカラッとしていて、11月らしくない西海岸的気候で最高の一日となりました。また当初の予想よりも多くの参加者に集まっていただき、皆さん楽しまれたようで良かったです。


自分で走行会を主催するにあたり、絶対やりたいと思っていたのがアメリカンなスポンサーバナーです。意外と会場のフェンスの距離が長く、今回作った4枚だけでは埋め尽くすことができませんでしたが、ちょっとは雰囲気が出たかなーと思います。このバナーも評判は上々でしたので、次回はさらに枚数を増やそうと思います。


それと今回直前に思いついたのがバンド札です。最近見なくなりましたよね。でも、僕はまだ40mhzも使っているので自分のためにも欲しかったのです。で、どうせならかわいいものを作りたいなと思いまして、ドッグタグで作ったタグをペグボードに吊るしてみました。フリーハンドで書いたレタリングの出来はイマイチでしたが、唯一無二のものが出来たので個人的には満足です。ピンチも探してみるとカッコいいものがあるものですね。自分以外にも旧バンドを使っている方に活用していただけたので良かったです。これは次回以降も定番設備にしよう。まぁ実際のところ80年代にはこんなものは存在しなくて、当時はバンドリボンをアンテナに付けていたんですけどね。


今回はフリー走行とフリーマーケットがメインコンテンツだったわけですが、コンデレはやりました!ただ台数が多いわりに投票者が少ないために票が割れてしまい、同率2位と3位が複数名出てしまったので、次回からは1人1台のエントリーにしようということになりました。賞品獲得のためにジャンケン勝負となってしまい申し訳ありません。参加者が増えるともっと良いんですけどね。


というわけでこちらが同率3位の4台。黄色の渋いビートルはBLOCKHEAD MOTORSのJUNくんの一台。さすがですねぇ。一台何故か単色塗りなのに入賞しているのがいますが……謎です(笑)


そしてこちらが2位の皆様。なんか色味が似ているのが面白いですね。やっぱブレーザーカッコいいなぁ。僕もいつか作ろうとボディも確保してるんですが、いつになることやら……。MRPボディのスコーピオンやJGボディのホットショットも、OSR的方向性でとっても良い雰囲気ですね。


そしてこちらが優勝車!すばらしい作り込みをされたSAND SCORCHER、ワーゲンオフローダーです。展示中も灯火類が点灯しているのがすばらしいですね。こちらは単独首位で誰もが文句なしの優勝でした。Congratulations!

当日は僕が仕事でいつもお世話になっているRCマニアのプロカメラマンに来ていただき、写真をたくさん撮ってもらいました。参加者の皆さんはお知らせしているURLのGoogle Driveで確認してみてください。というわけで当日のスナップ写真を一部掲載しておきます。次回開催は来年4-5月くらいでを予定しています。日程が決まりましたらこちらやインスタの方で案内しますので、皆様是非ご参加ください!



























See you next meeting!!

Thursday, November 7, 2024

OLD SKOOL RUNNERS MEETING



走行会を開催しようと思います!もともとタイトルに「Runners」と付けてこのブログを始めたのはラジコンなんて走らせてなんぼでしょ、飾るための車作りなんてナンセンスでしょ、という思いからだったのですが、そう言いながら僕もあまり時間が取れなかったり、そもそも走行会的なものも無かったりで、最近ではすっかり走らせる機会が少なくなってしまいました。かつてはまったく興味のなかったいわゆる盆栽車両、海外の人たちが言うところの「Shelf Queen」を何台も作ってしまう始末です。そこで友人からの薦めなどもあり、自分で走行会を催してみようと思い立ったのです。

この走行会はつくばRCパークの協力を得て、同施設の80年代土コースを使って行います。基本的に屋内ピットなどは使わず、各自ピクニックテーブル等を持ち込んでお使いいただく完全な80sスタイルでやります。とりあえず初回開催をしてみて需要があるようでしたら、年2回程度の割合で定期開催ができれば良いかなと思ってます。この日は屋内コースで別のイベントを行っていたり、ラジコンマガジンさんも別のイベントを行うそうで、都合の悪い方もいらっしゃるかもしれませんが、フリーマーケットなど従来のイベントには無かった試みもありますので、是非遊びに来ていただきたいと思います。


スケジュールと予定コンテンツ、注意事項等は以下の通りとなります。エントリーフィーは¥4,000(記念ステッカー代込)を予定しています(当日決済・各種カード・電子マネー・QR決済等可)人数確認のため、下記よりエントリー受付をしていただけると助かります。



*予定コンテンツ
フリー走行・不要品フリーマーケット(基本的にRC関係のものでお願いします)・プロカメラマンによる写真撮影・コンデレ

*当日タイムテーブル(状況により前後します)
9:00 ゲートオープン・受付開始・各自ピット設営
10:00 イベントスタート・走行・フリマ開始
15:00 コンデレ開催・賞品授与
17:00 終了予定

*注意事項
・参加車両は問いませんが、基本的には1980年代の車両とその復刻版が相応しいです。
レースは行いません。基本的に自由走行となります。
屋外ピットとなりますのでテーブルやイスをご用意ください(80sスタイルです)。
AC電源は一応用意する予定ですが、容量の関係で自由には使えません(充電コーナーの設置になるかもしれません)。ポータブル電源や自動車の電源をお使いいただくのがベストです。
フリーマーケットは各自のテーブル等で行い、会計や商品管理などは自己責任でお願いします。
プロカメラマンによる撮影サービスを予定しています(後日Google Photo等で公開予定)。天気が良ければ白バックのビューティーショットも撮影できるかと思いますのでご依頼ください。
イベント開催中は受付で配ったリストバンドを装着してください。同伴者等、リストバンドの無い方の走行はできません。また土コース以外の走行には別途受付が必要となります。
当日は屋内コースでのイベントと重複するため、雨天でも屋内施設の利用はできませんのでご了承下さい。小雨なら決行予定です。(中止の際はインスタで告知します)
エントリー締め切りは11月22日です。(たぶん直前でも大丈夫です)





 

Saturday, August 12, 2023

RANCH PIT SHOP

Gil Jr. & Allen were member of Team Variflex

アメリカにおけるドッグファイターの輸入販売元であり、後のTeam Losiの母体でもあるRANCH PIT SHOP(RPS)のルーツ、それはスケートボードです。1970年代、プライウッドのデッキを採用した現代的なスケードボードが完成すると、アメリカ西海岸を中心としたスケボーブームが沸き起こりました。そんなムーブメントに勝機を見出したギル・ロッシは、兄弟と息子たちを巻き込んでスケートビジネスに参入します。そして1977年頃にバリフレックス・スケートボードという新ブランドを設立。サポートアスリートには長男ギルロッシJrと次男アレンロッシも名を連ねました。

Rancho Mediterrania Skatepark 1981

そして翌1978年にはスケボーシーンを盛り上げるべく、カリフォルニア州コルトンにパークをオープン。このパークの正式名称は「ランチョ・メディテラニア・スケートパーク」でしたが、通称ランチと呼ばれていました。ここは当時のスケートブームの中心地となり、ナショナルズ(全米選手権)が行われたりしたほか、あのトニー・ホークもここがホームだったそうです。

Gil Jr. took 3rd place for Pro. Slalom class at 1981 Nationals

しかしそんなスケートビジネスが順調だった80年代初頭、ロッシ親子はMRC(タミヤの代理店)が輸入販売を始めたRough Rider(バギーチャンプ)で遊ぶ少年たちを見かけ、一瞬にして心を奪われてしまったのです。次はこれだ!と閃いたギルはすぐさまランチスケートパークの横にオフロードサーキットを造成。リテイルストアを併設してRCホビービジネスに参入します。

THORP Raceway

スケボーブームが始まったのと同じ頃、アメリカではそれまで人気だったスロットカーやテザーカーに代わりラジコンもブームとなりつつありましたが、その初期は大人たちがメインで楽しんでいた1/8GPオンロードが中心で、雨の日にインドアで楽しむための1/12EPオンロードが少々、といった感じでした。その頃にRCの聖地だったのがTHORPブランドで有名なジョン・ソープがカリフォリニア州ポモナに所有していた「ソープ・レースウェイ」です。しかし80年代に入るとジョンソープはダートバーナーズレーベルをスタートさせるなどメーカー業へとシフトしていき、ソープレースウェイはジョーリンチという人物に売却されました。ジョーリンチはしばらくトラックを運営しながらピットショップというリテイルストアを併設し経営していましたが、それをコルトンが手狭になってきたギルロッシが1981年に購入したのです。ロッシが買収する前には、ランチレースウェイとピットショップの広告が並んで雑誌に掲載されるという珍しいケースも見ることができます。


RANCH Raceway and PIT SHOP


そうして両者が融合し、ランチピットショップが誕生しました。オンロードとオフロードのトラックにホビーショップ、さらにスケートパークやゲームコーナーも併設。80年代の少年たちにとって夢のようなショップの誕生です。

Ranch Raceway in Pomona

ポモナのRPSはソープ時代からの1/8トラックの横にオフロードトラックを開設。奥に見えるこれまたソープ時代からある建物がショップになっていたようです。コース側に立っているのはRC10プロトのテストをしているギルロッシJrとアートカーボネルですね。84年頃だと思います。

Ranch Pit Shop in Pomona

が、しかし。内陸部にあるポモナは夏には暑すぎるという問題があり、ショップ主催のレースはナイトレースが中心だったとはいえ、夏がメインのORRCA主催の公式レース等を開催するにはもっと環境の良いところが相応しい、ということになったようで、84年春に南カリフォルニアのデルマーに土地を確保し、ここにオフロードトラックを移設、ショップも併設されました。

Off-road track in Del Mar

デルマーは海に近く、夏でも比較的涼しいため、ナショナルズをはじめ多くのレースがここで開催されました。85年のIFMAR世界戦の会場となったのもここです。

Del Mar. Track profile

デルマーのトラックは、アスファルトの駐車場のようなところに木枠を設置して土を運び込んで作られていました。レイアウトはほぼ固定で、世界戦であっても変更されることはなかったので、圧倒的に地元勢有利だったと思われます。今では考えられないですね(笑)

RPS used to have two locations in 1985-1986

というわけでしばらくの間はポモナとデルマーの2拠点で運営されていたRPSですが、86年にはデルマーは閉鎖され、再びポモナに集約されることになります。恐らく理由はRCメーカーとしての活動がスタートしたことと、スケート事業のドタバタでしょう。ギルロッシSr.はマスマーケットを志向した兄弟と意見が食い違うようになり、85年頃にバリフレックスから離脱します。息子たちもスケボーとラジコン、2足のわらじを履いていましたが、ギルJrはラジコンの道へ、アレンはスケボーの道へ進むことを選び、それぞれの得意分野を極めていくことになりました。

Allen Losi in action

ラジコンでは86年にRPS Yokomo SE の発売と同時にTeam Losiブランドがスタートしますが、スケートでもすでにスタープレイヤーとなっていたアレンの主導によるTeam Losiがスタートしました。また87年の1/8GP世界戦のポモナでの開催も決まり、そういった新しい局面を迎える中で、2拠点を維持し続けるのはリソース的に難しかったのではないでしょうか。ちなみにアレンロッシは85年のIFMAR世界戦にも出場し、モディファイドクラスでCメイン7位の記録を残しています。マシンはもちろんドッグファイターです

RANCH PARK in Del Mar

RANCH Racetrack in Del Mar

80年代のスケートパークの写真を見ると、後ろにオフロードトラックが写り込んでいることがあります。上の写真の後方にあるのが86年頃のデルマーのオフロードトラックですね。トラック側からの写真でも後方にプールがあるのがわかります。スケボーとオフロードRC。この2つが常にランチピットショップの両輪だったのです。ついでに言うと、Team Losiはヨーヨーの世界でも有名な存在でした。ギルロッシは80年代の少年たちの心を鷲掴みにしていたと言えるでしょう。

Gil Losi Sr's '67 Buick Riviera

ギルロッシSr.はカーガイとしても有名でした。彼のリヴィエラは様々なカーショウでおなじみの一台でしたし、実車のレースにも取り組んでいました。残念ながら2022年に亡き人となってしまいましたが、僕らのようなオフロードラジコンファンにとって彼が与えた影響の大きさは計り知れず、決して忘れさることはできない存在のように思います。

Friday, August 11, 2023

Japan RPS


YZ-834B Japanese RPS Edition

当時ドッグファイターを持っていた方なら覚えていると思います。オレンジのタグがついたRPSのオプションパーツ。実際のところ、当時日本の模型店ではそれくらいしかドッグファイターのホップアップパーツは売ってなかったですよね。リアの独立ショックキットが6800円とか、当時まだ小学生だった自分は悶絶したもんです。ただただ憧れるしかなかった人がほとんどだったことでしょう。そんな当時の憧れをほぼ新品パーツを集めてカタチにしてみた一台がこちら。Jrレプリカを作った頃に前後して組んだものです。なお、こちらはメカなどは載せずにローリングシャシー状態で完成としています。


ポリプロピレン製の軽量シャシー(実際は柔らかすぎて無意味)、前後ブルーショック(キャップがローレット加工で締めにくくリアは跳ねまくり)、テンショナーつきチェーンガイド(スプロケットの前後歯数を揃えない限り結局外れる)、グラスファイバー製前後ハブ(すぐワンウェイ緩んで空回りする)、純正よりも太さを増したオキールアンテナ(横堀氏命名…でも全然起きない)といった見かけ倒しなカスタムパーツのオンパレード(笑)でも当時このパーツを揃えようとしたら、もう一台キットを買えましたからね。かなりの高級仕様ではあります。


ちなみにホイール&タイヤはAYKがコンドルブランドで販売していたもの、ボディはレインボープロダクツがダートバーナーズブランドで販売していた米Parma社製のチェノス・ヨコモです。

当時は日本のどこかの模型店でこんな見本車両が店主によって組み立てられ、ショーケースに飾られていたんじゃないですかね。そんなイメージで作ってみました。


というわけで、RPSという名前をオレンジのタグではじめて知ったという人は多いんじゃないでしょうか。僕もそうでした。どのパーツも高いけど、まぁ輸入品だから仕方ないか―なんて騙されてた人が大半なのではないかと(当時$1=250円くらいですし)。しかしですね、実はこれらのパーツ、RPSから名義だけ借りてヨコモが独自に製作・販売していたもので、実際はRPSとは無関係な商品でして、USでは一切販売されていなかったんですね。僕は85年くらいから横浜の西山サーキットや川崎のいちむらサーキットのレースに出ていたのですが、そこで目にする鬼塚さんや尾上さんなど、事実上のヨコモワークスの方々の車体にこれらのパーツがまったく使われていないことが気になっていたのですが、まぁつまりどれもあまり意味の無いパーツだったと(笑)


そんなオレンジRPSタグパーツですが、唯一鬼塚さんらが使用していたのがLLCホイールというものでした(LLCってなんですかね?ロングライフクーラント?w)。これもまた2本で2600円と高額でしたので当時は買うことができませんでしたが、一瞬だけ店頭に並んですぐに姿を消してしまいましたので、多分一連のRPSパーツでは一番数が少ないのではと思います。このホイール、実はアソシのRC250(1/8GPカー)のフロントホイールを旋盤で削ったもの。純正ホイールよりも大径でホットショット等のタイヤを接着して使う想定なんですが、鬼塚さんは当時西山で一番食うと評判だったタミヤスバルブラット用タイヤ(=バギーチャンプ後輪)を無理やり接着して使用していましたね。ちなみにRPSタグの製品が無くなったあとも、草加のホビーショップスズキが同じものを作って売っていました。今も続くTEAM SUZUKIのルーツですね。というわけでこちらもRPSとは何も関係がありません。



本当のRPSのパーツはこういったものです。上はアメリカでド定番だったホリデーバギーリアホイール用のキャップ、下は京商CBショックをドッグファイター用にケースをショート加工したもの(左は別のメーカーのもの)です。その後ドッグファイター用のホップアップパーツ(グラファイトシャシー等)がいくつか出て、その後のTeam Losiへと続いて行きます。そんなRPSとは何なのか、についてはまた改めて投稿しようと思います。